東京高等裁判所 昭和42年(う)1655号 判決
被告人 滝口英一
〔抄 録〕
各所論は要するに、被告人は本件犯行当時病的酩酊による心神喪失の状態にあつたのに、原判決が心神耗弱の状態にあつた旨判断したのは事実誤認であるといい、弁護人は更に、被告人は本件各犯行当時病的酩酊状態にあつたため酩酊からの覚醒後において著明な追想障害があつたにもかかわらず、原判決がこの点に思いを致さず、被告人の捜査官に対する各供述調書に現われている被告人の供述に基づき本件各犯行の動機、手段方法等を認定したのは、採証法則に違反し審理不尽の違法がある旨主張するのである。
しかしながら、原判決が挙示している原審第七回公判調書中の証人田原幸男の供述部分及び原審鑑定人田原幸男、同中田修作成の各鑑定書の記載を原審の取り調べた爾余の各証拠と対照しつつ検討すれば、被告人が原判示各犯行当時において飲酒酩酊のため事理の是非善悪を判断する能力及びそれに従つて行為する能力が著るしく減退している状態にあつたことは肯認することができるものの、右各能力の一方又は双方を全然欠いていた状態にあつた事実は、これを認め得ないのであつて、右認定の如き精神状態は刑法にいわゆる心神耗弱に該当するものというべきである。所論田原鑑定人作成の鑑定書中には、弁護人の論旨摘録の如き記載があるけれども、同鑑定人が被告人に著明な追想障害があると判断した根拠は、被告人が同鑑定人に対し酩酊中の行為について追想が明確でない旨強調し、自分ではどうしても思い出せない点も多く、言われてみるとそんな事もあつたようだと想起できる点もあると陳述していること、及び鑑定留置中に酩酊状況を具体的に観察する目的で施行した飲酒試験の結果、酩酊中の行為についての追想が不可能であつたことの二点に帰着するものであることは、同鑑定書の記載及び同鑑定人の原審における証言に徴して明らかであるところ、一件記録によれば、被告人は犯行当日の昭和四十一年七月二十八日午後三時四十分御殿場警察署において同署員により緊急逮捕され、同日及び翌二十九日に司法警察員の取調を受けたが、右各取調の際に作成された供述調書には、所論犯行の動機、方法を含む犯行前後の模様につき詳細且つ可成り具体的な供述が録取されており、その後検察官の取調を受けた際に作成された供述調書にも殆んど同旨の供述記載が存することが窺われるにもかかわらず、同鑑定人は鑑定に当り本件記録を参照しておりながら、右各供述調書、殊に未だ傍証の収集も完全でない捜査初期の段階において作成された司法警察員に対する各供述調書に録取されている被告人の供述が、果して被告人自身の記憶に基づいて自発的にしたものでなく、専ら捜査官から指摘された結果「判然と想起は出来ないが言われてみればそのようなことがあつたようだ」と思つて為した供述であるか否かについて考慮を払つた形跡が全く認められない。また、飲酒量と酩酊の程度との間には、恒常的な一定不変の関係はなく、その時どきの肉体的、精神的諸条件に左右されることは経験則上明らかであり、飲酒試験により犯行当時と同様な精神状態を再現することは、まず不可能に近く、飲酒試験の結果は犯行当時における精神状態及び爾後における追想障害の程度を推定するうえで一応の参考となるに過ぎないものと考えられるのであるから、同鑑定人の挙げている根拠だけからは、被告人の追想障害の程度が同鑑定人のいうが如く著明なものであつたとは直ちに断定し難いのである。これに対し、原審鑑定人中田修作成の鑑定書の記載によれば、中田鑑定人は、被告人の追想障害の程度が如何なるものであつたかについて、単に被告人の同鑑定人に対する陳述のみによらず、本件記録に基づき被告人の捜査官に対する供述調書に現われている被告人の供述内容を関係者の供述と対比し、且つ捜査官による誘導の可能性の有無等をも考慮しつつ仔細に検討した結果、被告人の犯行当時の記憶は十分に残つているとはいえないが、全健忘とか極めて断片的な記憶しか残つていない所謂島性健忘の状態ではなく、実際には犯行当時の記憶が不完全ながら残存しているものと推定していることが窺われ、同鑑定人がかかる判断に到達した理由として前掲鑑定書中において指摘しているところ(記録四八七丁~四八九丁)は、法律専門家でない同鑑定人の意見ながら、当裁判所の見るところでも寔に首肯に値するものといわざるを得ない。それゆえ、前掲田原鑑定書中被告人に著明な追想障害がある旨の部分は、これを採用することができない。そればかりでなく、病的酩酊であるかどうかは医学的な診断であり、且つ、病的酩酊なる概念そのものについても、学問上の立場によつて見解が岐れていることは前掲田原証言と中田鑑定書とを併せて参照すれば自から明らかである(田原鑑定人のいう病的酩酊の概念は、行為の動機が了解不可能であることを要件とせず、また、病的酩酊を特徴づける追想障害の程度にも段階的な幅を認め、全健忘又は島性健忘の程度に至らず「そう言われればそうであつたようだ」と想起しうる程度であつても差し支えないとするのに対し、中田鑑定人のいう病的酩酊の概念は、行為の動機が了解不可能であること及び酩酊状態からの覚醒後における全健忘又は島性健忘の存在を重要視している)から、田原鑑定人がその立脚する学問的立場から被告人の本件各犯行当時における精神状態を病的酩酊と診断したからといつて、それが直ちに被告人が当時心神喪失の状態にあつたことを意味するものとはいえないのであつて、現に田原鑑定人が原審第七回公判期日に証言したところによれば、同鑑定人のいう病的酩酊なる概念のうちには、事理の是非善悪を判断する能力及びそれに従つて行為する能力を全然欠いている場合と右各能力が著るしく障害を受けている場合との両者を含み、本件の場合被告人は叙上能力に著るしい障害を受けていることには間違いないが、それが全然欠如するまでに至つていたものとは思われない、というのである。してみれば、所論田原鑑定書も、その内容に既述のような欠陥こそあれ、同鑑定人の原審第七回公判期日における証言と相俟つてむしろ結論的には原判決の認定したところと合致するのであり、その他一件記録を精査しても原判決に各所論のような事実誤認の廉はない。また、田原鑑定書中、被告人に著明な追想障害がある旨の鑑定部分の採用し難いことは前述のとおりであり、被告人の捜査官に対する各供述調書に現われている本件各犯行の動機は、記録によつて窺われる被告人の性格、犯行前の情況等に照らし十分首肯することができ、更に右各供述調書に現われている本件各犯行の手段、方法等は爾余の情況証拠と符合し些かも不自然な廉を見出し得ないから、原判決が右各供述調書を証拠として本件各犯行の動機、手段方法等を認定したからといつて、採証法則に違反し審理不尽の違法を冒したものということはできない。
(栗田 沼尻 近藤浩)
(註 本件は量刑不当で破棄)